1999年4月の撮影です。
現在は、783系で運転されている特急「ハウステンボス」ですが、当時は赤い485系で、
赤・青・黄・緑のブロックパターンに塗り分けられた車輌で運転されていました。
長崎本線・佐世保線系統の特急は、「かもめ」「みどり」もあり、「ハウステンボス」
だけが4色に塗られていたのは、誤乗防止のためだったとか。
この車輌、2003年3月の改正で、783系に置き換わり、「ハウステンボス」から撤退した
車両は緑色に塗り替えられ、南九州のローカル特急、「きりしま」「ひゅうが」に転用
されています。
この「きりしま」「ひゅうが」に使用中の485系も、来年3月の九州新幹線全線開業に
伴い全廃されるので、そろそろ南九州遠征を計画しなければなりません(笑)。
この撮影地ですが、当時は弥生が丘駅はなく、基山-田代間でした。踏切横からのちょっと
したポイントでしたが、現在は建てこんでしまい、このような構図では撮影できなくなって
しまっています。ご参考まで。
鹿児島本線 弥生が丘-田代 1999.04.
*** 【管理人プロフィール】シリーズ「鉄道写真を撮る人に100の質問」VOL.2 ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
2.軽く自己紹介をお願いします。
1965年(昭和40年)5月生まれの45歳。福岡市在住の会社員で、3男の父親です。
出身は、長崎県佐世保市。1972年、小学1年の時、父親の仕事の都合で大阪へ。その後
中学・高校・大学と約22年間を関西で過ごしました。
幼少の頃から、乗り物は好きでしたが、関西で生活していく中で、より身近に鉄道に
触れ、佐世保への帰省の際に特急「かもめ」や、「あかつき」などの乗車機会もあり、
鉄道に興味を持ちはじめました。
中学1年の頃から、友人と大阪駅や京都駅にカメラを持って撮影に出かけるようになり
ますます鉄道趣味に傾倒していきました。
高校・大学時代も、撮影をしたり、乗りつぶしをしたり、鉄三昧の日々を送り、1986年
(昭和61年)8月9日、未公認(?)ながら、北海道・根室本線根室駅において、国鉄(当時)
全線完乗を達成しております。
1988年(昭和63年)4月、無事に就職し、社会人となってからは、鉄道趣味に費やす時間
も減り、一時休鉄ブランク期間もありましたが、細々活動は続けていました。
勤務先も転勤などがあり、大阪 ⇒ 広島 ⇒ 福岡 ⇒ 東京 ⇒ 福岡 と移動して
きました。特に、2008年度は、約1年間東京へ単身赴任となりましたが、この間に鉄活動
が本格復活してしまい、現在に至っております。
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- 2010/06/14(月) 23:12:40|
- 鹿児島本線(肥薩おれんじ鉄道)
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