年始のご挨拶から、はや10ヶ月(笑)
皆さま、大変ご無沙汰失礼いたしました。
諸般の事情でブログを休止しておりましたが、ぼちぼち西海いや、再開して
まいります。
今日、10月2日は、昭和53年10月の国鉄白紙ダイヤ改正(ゴーサントオ)が
実施されてちょうど40年。
おそらく自分と同世代(昭和30年代後半~昭和40年代前半生まれ)の方に
とっては、思い出深いダイヤ改正だったかと思います。
この時は...
◆ 列車愛称番号の方式変更
在来線でも新幹線同様に「下り奇数・上り偶数」の列車番号方式を採用。
「あずさ2号」は、上りになりました。
◆ 特急電車先頭車の愛称表示のイラスト化
文字のみで表示されていた列車の愛称表示にイラストを採用。後に、
ボンネット車や客車、気動車にも拡大。
◆ 貨物列車の大幅削減
高速道路網の整備、トラック輸送の発達に加え、空の貨車ばかりを
たらい回していた貨物列車が大量に存在していたものを整理。
こちらは、あまり実感はありませんでした。
全体的には赤字を埋めるための増収の促進と支出の抑制を目的とした
施策が中心でしたが、当時の年少ファンにとってはどうでもよく、
やはり特急のイラストマークが目玉だったのは間違いありません。
これがきっかけで国鉄特急にはまった人も多かったはず...(笑)
この時の時刻表。日本交通公社(現JTB)の大型版です。
今でも保存されている方も多いのではないでしょうか。
上野駅でアメをなめる女の子の表紙が話題となりました。
表紙になったこの少女、版元は探していたようですが、決局名乗り出
はなかったそうです。
何度もボロボロになるまで読み返し、会社線のページで、「京成上野」
が「京上成野」となっている誤植をみつけ、ニヤニヤしていたのが
つい昨日のことのようにも思えますが、あれから40年。
まさに、「光陰矢の如し」です。
明日以降は、直近の撮影記事を掲載していきます。
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- 2018/10/02(火) 16:30:00|
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