かなり画像が粗いのですが、ご容赦ください。
153系の新快速です。
中学生の頃撮りました(笑)
この頃は、駅撮りからそろそろ走行写真撮影に目覚めた頃です。
カメラは親父のPENTAX SV。露出計もないスクリューマウントのカメラ
でしたが、1/1000のシャッターが付いていました。
当時、フイルムの外箱には、天気が晴れでシャッタースピードが1/250
の場合、絞りはf8というように「露出の目安」が記されていて、それを
参考に自分で露出を決めて撮影しておりました。
考えてみれば、この時期があったからこそ、「露出」というものが理解
できたのだと思っています。
この新快速、当時から大阪-京都間を日中15分ヘッド(00分、15分、30分、
45分発)、29分で結び、俊足ぶりを発揮していました。特急より速いので、
途中追い抜かれるのはみっともないということで、同じ区間を走る「雷鳥」
が、毎時05分発となっていました。当時の国鉄当局の苦労がしのばれます。
当時は、このように複々線内側の電車線を走行していました。
この153系新快速、結構撮影していたはずですが、あまりまともに写って
いるものはありませんでした。
東海道本線/高槻-山崎(当時)1980.06.
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- 2014/02/21(金) 18:05:00|
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