昔のアルバムを漁っていると、いろいろ出てきます(笑)
これは、埼京線が新宿駅まで山手貨物線に乗り入れて延伸開業した時
のものです。
どこかへよじ登って撮ったようなアングルですが、記憶がありません...。
カメラを構えている最中に、残念ながら、行先表示は折り返しの「大宮」
となってしまいました。
車両は、当時山手線で使用されていたものと同じウグイス色の103系です。
この時の動きを回想してみると...。
この前々日は、大学のスキー合宿先の信州・関温泉から下諏訪へ行き
諏訪湖YHで一泊、前日は朝から飯田線を全線踏破し、豊橋から大垣
まで、東海道本線を途中駅スタンプをコレクトしながら移動。
そして大垣夜行に始発から乗り、東京駅に5時前に到着し、そのまま
大宮駅へ直行、新宿乗り入れ一番電車に乗り、新宿駅に着いたところ
になります。
もちろん青春18を利用していましたが、この後、同時に開業した京葉線
にも初乗りして、房総半島を一周して上野駅近くのカプセルで一泊。
その翌日は東京都区内発の北海道ワイドを購入し、上越新幹線の初乗り
で新潟へ。さらに在来線に乗り継いで渡道し、20日間北海道をまわり
ました。
結構ハードに動きまわっていました。当時、20代とはいえ、今にして
思えばよく体力があったものです(笑)
なお、この後埼京線は1996年3月に恵比寿、2002年12月に大崎まで延び
りんかい線と相互直通。
使用車両も、この103系から205系、そしてE233系7000番台へと変遷を
たどっています。
埼京線/新宿駅 1986.03.03.
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- 2015/08/31(月) 18:05:00|
- 山手線・埼京線
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当分、過去ものが続きます。
広島から、芸備線・木次線経由で、山陰の米子、鳥取を結んでいた
陰陽連絡急行「ちどり」。
木次線の出雲横田駅を発車していくシーンですが、隣のホームには
当時一般色で残っていたキハ52-128の姿も見えます。
この日は、青春18きっぷを使い、この車両に宍道から乗車、ここで
「ちどり」を撮影後、さらに木次線を南下、出雲坂根の有名な三段式
スイッチバックを通って、備後落合まで抜けました。
このさらに数年前までは、同区間に夜行の「ちどり」が運転されて
いましたが、今では想像もつきません。
木次線/出雲横田駅 1988.01.06.
- 2015/08/30(日) 18:05:00|
- 伯備線・木次線
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中在家信号場、と聞いて懐かしさを感じる方は、SL現役時代を知る
方かもしれません。
関西本線の加太越えの途中にある信号場で、勾配の途中にあるため、
スイッチバック式となっています。
駅のように見えますが、客扱いはせず、ホームは業務用のもの。
単線区間なので、ここでは列車交換も行われます。
中央から延びる線路が本線、右が引上線、左が発着線となります。
もう30年近く前の撮影なので、この後、配線の簡略化が行われたよう
ですが、最近の姿はわかりません。
DD51が牽く12系団臨の記録もありましたが、残念ながらピンぼけ。
これとて、イマイチ鮮明ではありませんが、キハ58が日常的に
走っていた記録ということで。
関西本線/中在家信号場 1988.10.
- 2015/08/29(土) 18:05:00|
- 関西本線
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当ブログでは、初登場となる我が家族の思い出...。
新幹線500系が、お披露目で当時住んでいた広島へやってきた時のもの
です。
真ん中にカミさんが三男(当時1歳)を抱っこ、続いて、長男(当時6歳)、
次男(当時3歳)。
正確な日付はわかりませんが、500系は、この年の3月22日の改正から
走りはじめているので、その直前だったのでしょう。
思えば、この頃は子供達の世話(?)で、鉄活動からも遠ざかっていた
時期でもありました。
男ばかり3人、物心つく頃からプラレールで遊び、ここ広島では、自宅
から歩いてすぐのところに山陽本線の踏切があり、散歩がてらよく電車
を眺めに連れて行ったものです。
長男などは「大きくなったら、貨物列車の運転士になる!」などと言って
いましたが、やがて興味の対象が他のものに移り、下の2人も鉄道に興味
を示さず成長...。
いや、別に淋しがることはありません。
清く、正しく、元気にたくましく生きてくれれば...!
山陽新幹線/広島駅 1997.03.
- 2015/08/28(金) 18:05:00|
- 山陽新幹線
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かっては、京都発着で運転されていたタンゴエクスローラー。
旧国鉄宮津線を、第三セクター、北近畿タンゴ鉄道(現・京都丹後鉄道)
が引き受けて開業する際に、同社の看板車両として新造された、第三
セクター鉄道では初の本格的リゾート特急型気動車です。
この頃、キハ181系「あさしお」も同時に記録しており、その合間に撮った
ものですが、いつしかこの区間も電化され、やがて、この車両もJR線内
を走ることはなくなりました。
山陰本線/安栖里ー立木 1993.10.
- 2015/08/27(木) 18:05:00|
- 山陰本線
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このところ、「特別なトワイライト」が山陰にもやってきて、この現役
時代の「出雲」を彷彿させてくれます。
このように、重連で走るのは、伯備線内だけではありますが、風光明眉な
山陰本線を通ってくれるだけでも、大変ありがたい話。
翻って、この頃撮影した1枚1枚、撮った時はさほど実感はなかったものの、
今になって振り返ると、何と贅沢な時間を満喫していたのだと感じずには
おれません。
こんな時期に怪我をしてしまい、撮影に出られないのは無念ですが、
撮影に行くだけでわくわくする列車、最近は本当に少なくなりました。
山陰本線/出雲市-直江 1994.08.
- 2015/08/26(水) 18:05:00|
- 山陰本線
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キハ181系時代の特急「はまかぜ」です。
撮影したのは、播但線でも山陰本線でもなく、東海道本線しかも複々線
区間。
このように8連ぐらいなら複々線でもさほど違和感はありませんが、これを
撮ったさらに20年ほど前は、キハ82系の「かもめ」「なは」「日向」が、
もっと長大編成で走っていたはず...。
タイムスリップしてみたいですね。
東海道本線/芦屋-西ノ宮(当時)1993年頃
- 2015/08/25(火) 18:05:00|
- 東海道本線
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我々、昭和40年代前後の生まれの方にとって、今回の「北斗星」すなわち
ブルトレの終焉は様々な思いで迎えられたのではないでしょうか。
鉄道写真を撮りはじめたのも、ブルトレからという方も多いことでしょう。
ここ数年で、数々の名列車がこの世を去って行きましたが、幼少の頃から
個人的に最も思い入れのあるブルトレは、この「あかつき」。
関西在住の頃、郷里の佐世保への帰省の際、何度となく乗車しましたので
その時の思い出が詰まった列車でもあります。
分散電源方式の二段ハネ、14系15形が導入されたのも、この列車が初めて
でした。
憧れの列車をカッコよく撮りたいという思いは、社会人になってからも
途絶えることはなく、(今も途絶えていませんが・笑)多少ブランクが
あったものの、このサントリーカーブへ通ったものでした。
東海道本線/高槻-山崎(現・島本-山崎) 1994年頃
- 2015/08/24(月) 18:05:00|
- 東海道本線
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しばらく撮影に出られない日々が続きますので、過去ものを
中心に掲載していきます。
東海道本線の三島-函南といえば、富士山が背景にくる撮影地
として東京口のブルトレを狙うには人気のポイントでした。
この時は、金・土・日と3連休をとり、当時住んでいた西宮から
クルマで撮影に出かけ、2日目は湯河原付近、3日目にこの近辺
で撮影しました。
朝からあまり天気がよくなく、富士山は雲で見えなかったので
接近戦で「あさかぜ」を撮影。
300mmで撮りましたが、かなり露出が厳しい条件でした。
1週間前のことは覚えていなくても、昔撮った写真を眺めたら
20数年前のことが克明に思い出されます。
東海道本線/三島-函南 1993.12.05.
- 2015/08/23(日) 18:05:00|
- 東海道本線
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臨時列車として生き延びていた「北斗星」も、ついに終焉。
それほど多くの記録を残してきた訳ではありませんが、これはまだ
3往復体制で走っていた頃のものです。
あまり撮影に気合いが入ってなかったのか、背景がゴチャゴチャ
していますが、ご容赦ください。
個人的には、青いEF510より、この赤いEF81が牽いていた頃の方が
印象に残っています。
もちろん、北の大地をDD51重連で走る姿にも魅了されました。
それにしても、これにて60年にわたるブルトレの歴史に幕とは、
全く信じられない気持ちです。
東北本線/蓮田-東大宮 1993.02.
- 2015/08/22(土) 18:05:00|
- 東北本線
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