先日、山口・島根両県を襲った「経験したことのない大雨」、SLやまぐち号が走る
山口線も、鉄橋が流されるなど甚大な被害をもたらしたようです。
このようなニュースを見るたび、自然の猛威には、いかに人間が無力かということを
感じざるを得ません。
やまぐち号も、年内の運転はすべてとりやめ、復活運転イベントや、展示等もすべて
中止となってしまいました。
山口線が不通なら、岡見貨物の今後もも気になるところ...。
このまま廃止になってしまわなければいいのですが。
山口線 宮野-仁保
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- 2013/07/31(水) 00:29:26|
- 山口線
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在りし日のブルトレ・上り「富士」東京行きです。撮影は、廃止直前の2009年2月。
この時期、毎週末ごとに「富士」「はやぶさ」の最後の姿をとらえようと、各地で
撮影しておりました。ちょうど日が短い時期であり、夕方の斜光線が車体にあたるか、
ヒヤヒヤしたものでしたが、ギリギリあたってくれました。
欲を言えば、ここで単独運転時代の長編成で記録できなかったことが残念です。
* 明日7月22日(月)より24日(水)まで、出張のため次回更新は25日(木)以降
となります。
日豊本線 大神-杵築 2009.02.21.
- 2013/07/21(日) 23:24:22|
- 日豊本線
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以前、ブルトレ「さくら」の早岐駅での機回しの模様をUPしたことがありましたが、
今回は、「あかつき」です。
当時の「あかつき」は、長崎行きと佐世保行きが門司で分割・併合され、長崎行きは
鹿児島本線博多経由、佐世保行きは筑豊本線直方経由で運転されていました。
佐世保編成は、非電化の筑豊本線から終点佐世保まで、DD51が先頭に立ち、早岐駅で
スイッチバックのため、このように機回しが行われていました。
この日も夏の暑い1日でしたが、今も昔も、現場で働く職員の方には本当に頭が下がり
ます。
14系15形のトレインマークがチラリと見えます。今となっては、思い出のワンシーン
となってしまいました。
佐世保線 早岐駅 1984.08.
- 2013/07/20(土) 10:23:47|
- 佐世保線
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鉄と空。かけもちで撮影されている方、多いですね。
地元の福岡空港近辺でも、エアバンドを聴きながら大砲レンズを振り回している撮影者を
よく見かけます。
個人的には、昔からボーイング747が乗るのも撮るのも好きで、若干記録が残っています。
これも、そんな1枚。
飛行機に詳しくなくても、「ジャンボジェット機」を知らない人はいない位有名な機体ですね。
ANAでは、1970年代末期頃から当時の主力機のトライスターに替わって、この機体を導入、以後
国内線・国際線を問わず活躍の場を広げていきました。
1990年代以降は、貨物機に改修されたり、海外に売却されたりで、既にこの機体を日本国内で
見ることはできません。この後継機である747-400も、年内の退役が予定されており、あれだけ
飛んでいたのに、と思うことしきりです。
鉄道と同じで、撮れる時に撮っておくしかないですね。
伊丹空港 1993.08.
- 2013/07/19(金) 00:12:10|
- 飛行機・船・バスの部屋
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あまりにも暑いので、涼しげな写真でも。
北海道の大沼(正確には小沼ですが)の畔を行く、キハ82系「北斗」です。
湖に白鳥がいれば、一緒に撮れるかなと思っていたのですが、白鳥どころか、湖面は凍結して
おりました。
今や、振り子の「スーパー北斗」が表定100km/hでぶっ飛ばす路線ですが、この当時はまだ昭和
末期、このキハ82系もまだまだ現役で頑張っていました。
そういえば、「スーパー北斗」、最近の出火事故が気になるところです。
函館本線 仁山-大沼 1985.03.07.
- 2013/07/18(木) 00:08:07|
- 函館本線
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九州新幹線開通前、今からちょうど10年前の撮影となります。
当時から撮影名所だった、「前田の丘」。
この日は、朝からブルトレ「なは」や、787系「つばめ」を西方あたりで撮影し、移動の途中に、
ここへ立ち寄ったものです。
そういえば、この日以来訪れていませんので、久々に訪れてみたいです。
鹿児島本線(当時)袋-米ノ津 2003.08.24.
- 2013/07/17(水) 00:59:09|
- 鹿児島本線(肥薩おれんじ鉄道)
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この3連休、あちこち撮影に行かれた方も多かったと思いますが、当方は、親の介護度が進み
諸般の問題が深刻化してきたため、佐世保の実家へ出向き、その世話に勤しんでおりました。
親の介護、誰しも振りかかる可能性がありますが、状況に応じてその都度対応していくしか
なく、ある程度割り切りもしていかねば身がもちません。半年後、1年後どうなっているか全く
予測がつきませんが、当分の間、週末は実家との往復を余儀なくされそうです。
と、いうことで、撮影にも出かけておりませんので、過去ものを続けます。
今からちょうど28年前になりますが、北海道のローカル線乗りつぶしに熱中していた頃の記録
を紹介します。
興浜南線という、オホーツク海に沿って走るローカル線ですが、1980年の国鉄再建法施行に
基づいた特定地方交通線に指定され、1985年に廃止されました。
その廃止日、1985年7月14日の興浜南線の終点、雄武駅の模様です。
サヨナラ列車、9831D。
おそらく、この路線始まって以来、最初で最後の長大編成だったのかも知れません。
興浜南線最後の様子を収めようと、鉄道ファンも多く詰めかけていました。
雄武駅前の様子です。
当時の雄武町長。「オホーツク縦貫線の夢は、これで途絶えたわけではありません」との演説が
印象的でした。
今から28年前の思い出でした。
興浜南線(廃線) 雄武駅 1985.07.14.
- 2013/07/16(火) 00:20:26|
- 北海道各線(廃線)
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知人の急行紀州3号さんのブログにこの電車の紹介があったので、引っ張り出してきました。
2008年5月の撮影となります。
この419系、種車は世界初の電車寝台特急「月光」型として活躍した583系ですが、晩年は、
このように近郊化改造され、ローカル運用にまわされました。
もともと特急車両で、12連など長大編成が基本でしたので、短編成で運用する際に制御車が
不足することから、中間車に103系もどきの即席(?)運転席を取り付けたのがこの車両です。
六角形の断面が食パンのように見えることから、「食パン電車」と呼ばれていましたが、特急
時代は昼夜問わずこき使われ、時代にそぐわなくなったら車体にメスを入れられ...。
働き盛りの猛烈サラリーマンが会社に忠誠を誓って働き尽くした後、時代が変わって役に立た
なくなりリストラ、地方へ左遷されるような人間社会がオーバーラップしているかのようです。
幼き頃大阪駅から颯爽と出発していく栄光の時代、「明星」「彗星」を見て育った身にとっては、
改造された車両は可哀そうに思えて仕方がありませんでした。
北陸本線 丸岡-芦原温泉 2008.05.04.
- 2013/07/12(金) 23:05:42|
- 北陸本線
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もう30年近く前になりますが、紀勢本線ではEF58が最後の活躍を見せていました。
既に旧型客車はなく、あちこち回ってかき集められた12系客車でしたが、このあたりの
風景は現在もあまり変わっていないようです。
紀勢本線 南部-岩代 1985.04.29.
- 2013/07/11(木) 23:19:17|
- 紀勢本線
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地元・九州北部でも梅雨明けし、このところ連日夏らしい天気が続いています。
と、いうことで、夏らしい山陰の海と絡めた、「さんべ色」のキハ58を。
撮影した当時は何とも思いませんでしたが、今見返すと国鉄色とはまた違った雰囲気を
醸し出しています。
それにしても、色々なカラーがあったものですね。
山陰本線 三保三隅-折居 1997.08.
- 2013/07/10(水) 21:51:40|
- 山陰本線
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