西鉄貝塚線は、福岡市東部の貝塚から、新宮までの11kmを結ぶ路線です。
貝塚では、福岡市営地下鉄と接続しており、将来は相互乗り入れの構想もあります。
かっては、宮地岳線として、新宮の先も、津屋崎まで走っていましたが、この区間は2007年3月
に廃止されています。地元ながら、気にはなっていたのですが結局この区間は記録することが
できなかったのが悔やまれます。
さて、本日の写真ですが、JRの博多臨港線の貨物とかけもちで撮影したものを掲載します。
写真ではわかりにくいのですが、多々良川の橋梁上を電車が走っています。
踏切からの撮影ですが、これより線路伝いには橋梁寄りに近づけないのと、午後3時すぎと
いう時間帯だったこともあり、光線状態を考えて正面から狙ってみました。
背景のマンションの都会的雰囲気とはややアンバランスな600形との組み合わせが、この路線
の特徴を表現できたのではないかと思います。
この路線を走る2枚窓の名車、313形もそのうち紹介したいと思います。
西日本鉄道貝塚線 名島-貝塚 2013.01.20.
- 2013/01/20(日) 23:10:13|
- 西日本鉄道
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狙って撮れるものではない「衝突寸前」の写真です。
冗談はさておき、今日はたまたまこんなシーンが撮れましたが、すれ違いの写真なら、比較的本数
が多い線区であれば、粘れば撮れることもあるものの、そうそうタイミングが合う機会はなかなかある
ものではありません。
今週は、17日から18日にかけて、九州北部地方でも冬型の気圧配置となり、平野部でも珍しく
積雪が見られました。今日も午前中は、このように若干雪が残っていましたが、昼前までに
ほとんど溶けてしまいました。
鹿児島本線 東郷-東福間 2013.01.19.
- 2013/01/19(土) 21:11:28|
- 鹿児島本線(肥薩おれんじ鉄道)
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昨日に続き、湘南色の話題です。
湘南色の元祖といえば、大型2枚窓が印象的なこの80系。飯田線の終点・辰野駅での
スナップです。
東海道の「湘南電車」の代名詞であったこの車両も、晩年は飯田線のローカル運用にて
最後の活躍を見せていました。
1950年代から80年代初期にかけ、まさしく日本の高度経済成長期を駆け抜けた車両です。
電車としてはじめて16連もの長大編成を可能とした走行系のシステムなど、当時の常識
を打ち破る革新的な車両でもありました。
他にも80系の写真はあることはあるのですが、残念なことに、ピンぼけ、退色などで、
ろくなものは残っていませんでした。
飯田線 辰野駅 1982.07.26.
- 2013/01/18(金) 22:42:08|
- 大糸線・飯田線
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湘南色といえば、お茶畑の緑と、みかんのオレンジにちなんだといわれていますが、
幼少の頃から、この色の電車を見ると、どこか遠くまで行く時に乗る電車というイメージ
があり、旅情を感じたものでした。
国鉄時代の赤とクリームの特急色と並び、この色も孤高の輝きを放つ配色だと今さらながら
感じます。E231系やE233系のような最近のステンレス車であっても、その帯にこの配色が
受け継がれているところ、やはり伝統なのでしょうね。
伊東線 来宮-伊豆多賀 1993.12.05.
- 2013/01/17(木) 22:00:03|
- 横須賀線・伊東線
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現在の「サンダーバード」が登場する前、通常の「雷鳥」とは別に、「スーパー雷鳥」
という列車が走っていた時期がありました。
従来の485系をアコモ改造、塗装も白を基調としたカラーに変更され、停車駅も少なく
して、旧来の「雷鳥」をスピードアップさせ、運転されていたものです。確か神戸
発着のものも存在しました。編成の反対側は、パノラマ車です。
「スーパー雷鳥」は1991年にデビューしましたが、活躍は10年ほどとそれ程長くなく、
「サンダーバード」の増発とともに、2001年3月の改正で、「白鳥」とともに消滅
しています。
この頃は、国鉄が分割民営化されて間もない頃だったので、車両も様々なバリエー
ションのものが次々とやってきて、飽きることがありませんでした。
北陸本線 敦賀-新疋田 1992.10.
- 2013/01/16(水) 23:30:26|
- 北陸本線
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本日発売のDJ誌2月号に、「スーパーひたち」の小特集が組まれています。
この、651系も、3月の改正で「引退」とのことです。「引退」ということは、「廃車」
ということなのでしょうか.
「フレッシュひたち」で活躍中のE653系は、485系「いなほ」の置き換えにまわるよう
ですが、651系もどこかの特急の置き換えにまわるものと思っていました。
24年も、高速で走り続けているので、足回りの傷みが、想像以上に激しいのかも知れ
ません。
常磐線 藤代-取手 2008.08.31.
- 2013/01/15(火) 23:55:25|
- 常磐線
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首都圏はじめ各地で大変な大雪みたいですが、皆さん大丈夫だったでしょうか?
こちら九州では、12月より博多駅ビル内のJR九州ホールで開催中だった「水戸岡鋭治の幸福
な鉄道展」も、あわせて運転されていた「幸福な臨時列車」も、本日が最終日となりました。
午前中の上りと、午後の下りの2本撮影の予定でしたが、午前中は雨のため、出撃を見合わせ
午後、天気が回復してきたため、撮影に出かけました。
当初、赤間から福間の間で狙うつもりでしたが、国道3号線が連休最終日とも重なり渋滞、
結局遠くまで行けず、仕方がないので多々良川そばの踏切で狙うことに。
時間通り、西日をあびながら、黒いDE10に牽かれた「幸福な臨時列車」がやってきました。
この編成、2月の連休には「アラウンド・ザ・九州号」として走るようで、こちらも撮影が
楽しみです。
* 蛇足ながら、本日は当方の○○回目の結婚記念日です!
カミさんの機嫌を損なわないよう、撮影も早目に切り上げて、帰宅しました(笑)。
鹿児島本線 千早-箱崎 2013.01.14.
- 2013/01/14(月) 18:07:15|
- 鹿児島本線(肥薩おれんじ鉄道)
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昨日に続き、函館本線大沼付近の写真を掲載します。
大沼といえば、背景に駒ヶ岳が入るポイントが点在しますが、この日も快晴ではなかった
ものの、駒ヶ岳の稜線が綺麗に裾野から見ることができました。
僭越ながら、当時のベストショットで大きく引き伸ばして部屋に飾って喜んでおりました(笑)。
膝のあたりまで雪に埋まりながら撮影したのが、ついこの間のことのように思い出されます。
この23年後、2008年9月にも、この地を再訪しておりますが、同じ場所は樹木が成長しており、
撮影が困難な状況でしたので、ここよりもう少し仁山寄りのポイントから、駒ヶ岳バックに
撮影しております。
この時の記事は、
↓ ↓ ↓
この付近、また機会があれば訪れたい撮影地です。
函館本線 大沼-仁山 1985.03.07.
- 2013/01/13(日) 22:14:15|
- 函館本線
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しばらく、過去物が続きます。
キハ183系、1979年に試作車がデビューし、活躍の場を広げていくとともに、様々なバージョン
が登場しましたが、個人的には今でもこのオリジナル車が一番だと思っています。
1985年当時の北海道は、まだ青函トンネルはなく、ダイヤも現在のような札幌中心には完全に
なっておらず、この「おおぞら」のように、長躯函館-釧路間を走るような特急も存在しました。
今見ても、このトレインマークは秀逸だと感じます。
函館本線 仁山-大沼 1985.03.07.
- 2013/01/12(土) 20:47:14|
- 函館本線
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別に、この客車に特別に思い入れがあるわけではないのですが、いつ、どこで撮ったか
わからなかったこの写真、当時遠征に持参していた編成をメモしたノートが先日出てきて、
正確な日付と、列車番号までが判明しました。
仙山線の825レで、仙台から山形に到着したところです。
青い車体に、深々と降る雪に、駅の情景とともに東北の旅情を感じた思い出がよみがえります。
奥羽本線 山形駅 1985.03.01.
- 2013/01/11(金) 22:20:45|
- 奥羽本線
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