非電化時代の片町線です。
現在は、「学研都市線」として、JR西日本のアーバンネットワークに含まれる路線の
一つで、207系や321系によって運行される通勤路線ですが、撮影当時(1983年)は、
長尾から先、木津までは非電化でした。
この頃は、枚方市に住んでおりましたので、高校の授業が終わってから、友人と自転車
で山を越えてこのあたりまで撮影しに来たものです。
この6年後に、長尾-木津間が電化されることになるのですが、沿線の様子は、全く別の
路線のごとく変貌を遂げました。
片町線 田辺-上田辺(当時) 1983.02.
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- 2012/11/30(金) 22:56:37|
- 奈良線・片町線
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説明がなければ、一見何の変哲もない写真に見えてしまうような平凡な写真ですが、
真ん中を走る線路が、宗谷本線、左に分岐する線路が名寄本線、右に分岐する線路が
深名線です。
名寄駅の南側にある跨線橋から撮影しました。
名寄といえば、鉄道の要衝であったとともに、厳寒の地としても知られており、この日
も7月だというのに、列車内は暖房が入り、セーターを着てウロウロしておりました。
現在は、宗谷本線が走るのみです。今となっては、思い出の1枚です。
宗谷本線 東風連-名寄 1985.07.14.
- 2012/11/29(木) 21:47:00|
- 宗谷本線・石北本線
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拙ブログで、過去山陰本線の記事を45件掲載しておりますが、「余部橋梁」が1度も登場
していないことに今頃気が付きました(汗)。
1987年10月に、餘部駅そばの「お立ち台」より撮影した今はなき寝台特急「出雲」です。
この時間帯、側面に朝の光が当たり、背景に海も入るとあって、超人気の撮影地でいつ
訪れてもカメラを構えている人がいました。
皆様ご存知の通り、2010年8月から、新しいコンクリート橋に架け替えられましたが、
まだ未訪ですので、機会があれば訪れてみたいです。
山陰本線 鎧-餘部 1987.10.10.
- 2012/11/28(水) 23:33:17|
- 山陰本線
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EF15が牽引する貨物、撮影は1985年4月です。右の方に、こいのぼりが見えます(笑)。
1985年4月といってもピンと来ない方もいらっしゃるかと思いますが、あのチェルノブイリ原発
が大事故を起こした時でした。大変ショッキングだったのを覚えています。
あれから26年後、地震・津波によるものとはいえ、まさかこの日本で原発事故が起ころうとは、
当時誰が想像したでしょうか。
旧型しかもデッキ付き電機の写真はあまり撮影していなかったのですが、阪和線・紀勢本線の
貨物運用で、最後まで残っていた頃で、撮影しようと思えばもっと撮影できていたはずですが
当時騒がれるほど関心がなく、今にして思えば悔いが残るばかりです。
紀勢本線 岩代-南部 1985.04.29.
- 2012/11/27(火) 23:17:15|
- 紀勢本線
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久大本線は、由布院駅をはさむ形で、U字型の線路配置となっていますので、上り列車も
由布岳をバックに撮影することができます。
こちらは、由布院駅から野矢駅側となります。
昼すぎまで、澄みきった秋空でしたが、午後の遅い時間の「ゆふいんの森4号」の時は、
このような感じでした。
これでも、曇って山の稜線も見えないよりかはマシというものです。
久大本線 由布院-野矢 2012.11.25.
- 2012/11/26(月) 23:17:43|
- 久大本線
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本日の撮影です。
先週苦しんだ「ウィルス性胃腸炎」の全快祝い(笑)と勝手に銘打ちまして、湯布院まで撮影に
行ってきました。
昨日夜からゴソゴソと準備をしていると、珍しくカミさんもついて来ると言います。それなら
ということで、久しぶりに一緒に行くことに。列車を待つ間、カミさんはクルマの中で読書。
お互い思い思いの「秋の休日」を過ごしました。
さて、この場所、久大本線を代表する超定番ポイントでありながら、これだけ雲ひとつない快晴
のもと撮影ができたのは今回が初めてです。
背後に聳え立つ由布岳、今度来た時はカミさんの登山に付き合う約束をさせられ、登山口の下見
までしてきました。最近、著しく体力低下を自覚しておりますので、これもいいかも知れません。
久大本線 由布院-南由布 2012.11.25.
- 2012/11/25(日) 19:05:06|
- 久大本線
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昨日に続いて、北海道の士幌線(廃線)の記事です。
糠平から北へも十勝三股まで線路は延びていましたが、この線に訪れた時は、この区間、既にバス
代行輸送に切り替わっていました。
切符は、北海道ワイド周遊券を持っており、せっかくここまできたのだから、ということで表題
の「列車が来なくなった駅」、十勝三股まで行ってみることにしました。と、いうより当時は
国鉄全線踏破を目指しておりましたので、最初から訪問の予定で日程を組み、前日から糠平湖畔
のひなびた温泉旅館「糠平湖水荘」に宿泊しました。(注)この旅館も昨年廃業となっています。
代行バスといっても、このようなマイクロバスです。途中、幌加駅にも立ち寄り、十勝三股に到着
しました。
乗って来たのは、周遊券利用の鉄道ファンばかりで、何だか申し訳ない気持ちに...。
駅名票も朽ち果てています。
雑草に覆われた転車台。
もう切り替わることもないポイント.....。
現在、どのようになっているのでしょうか.....。
士幌線(廃線) 十勝三股駅 1985.07.25.
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- 2012/11/24(土) 18:44:01|
- 北海道各線(廃線)
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いささか季節外れではありますが、ご容赦下さい。
夏の北海道へは、鉄道写真を撮りだしてから初めて訪れたのが、この年、1985年のことでした。
おりしも、当時の「国鉄再建法」により、「特定地方交通線」と指定されたローカル線が、徐々に
廃止されはじめた時期でもありました。
この、士幌線は、当時帯広から、糠平まで運行されていましたが、「第2次特定地方交通線」に指定
され、この2年後に廃止されています。
この日は、糠平駅で下車して、黒石平の方向へ向かい、糠平湖畔を走る列車を、この上ない静寂の中
で撮影しました。
士幌線(廃線) 黒石平-糠平 1985.07.24.
- 2012/11/23(金) 19:18:14|
- 北海道各線(廃線)
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はじめて四国に上陸したのは、1984年3月でしたが、その時には、既にDF50の営業運転は
終了しており、ここ多度津駅のはずれで廃車回送を待つ姿を見ることができたのみです。
かわって、このDE10が四国のディーゼル機関車のヌシとなったわけですが、改めて見て
みると、コンテナがすべて緑色の懐かしい「国鉄色」!
この色のコンテナも、今では払い下げで倉庫代わりに使われているもの等でしか見る
ことができなくなりました。
予讃線 多度津駅 1984.03.30.
- 2012/11/22(木) 21:39:09|
- 予讃線・内子線・牟岐線
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「はやぶさ」が、西鹿児島(現鹿児島中央)まで乗り入れていた時代、堂々の15連で走っている
姿です。今は、背後に九州新幹線の高架が走るあたりです。
九州内を15連で走っていたとは、今ではとても考えられないことですが、さすがに長かったです。
この日は、雨模様でこのあたりをウロウロしながら、適当な場所でクルマを止め、窓を開けて
車内から撮影したのを思い出します。
天候のせいで、あまりすっきりした画像ではありませんが、記録ということで...。
鹿児島本線 肥前旭-久留米 1993.12.31.
- 2012/11/21(水) 23:29:25|
- 鹿児島本線(肥薩おれんじ鉄道)
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