2008年3月の改正で姿を消した、急行「銀河」。
東京-大阪間という、需要の高い区間を走る列車ながら、時代の流れには勝てず、惜しまれ
ながら廃止となりました。
個人的には、1979年(昭和54年)夏、中学2年の時、20系時代52cmの狭いベッドでしたが、
東京-京都間で乗車した時の思い出が印象に残っています。
岐阜あたりで目覚め、関ヶ原、柏原、近江長岡付近を車内からロケハンしていた自分が
いました(笑)。
東海道本線 東京駅 2008.03.
*** 【管理人プロフィール】シリーズ「鉄道写真を撮る人に100の質問」VOL.11. ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
11.蒸気機関車を撮影したことはありますか?
小学生の頃、梅小路で撮影したのが最初ですが、本格的に撮影しだしたのは、1984年
(昭和59年)11月の山口線からです。
山口線以外では、大井川鉄道と、豊肥本線を走った「あそBOY」、肥薩線を走る「人吉号」
などの撮影経験がありますが、まだまだ納得のできるカットが撮れていません。
今後も「やまぐち号」「人吉号」は、ライフワークとなるでしょう。
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- 2010/06/28(月) 23:02:40|
- 東海道本線
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117系の新快速です。
国鉄時代末期、並行する私鉄に対抗するために、特別料金不要ながら転換クロスシートの内装と
従来にないデザインで投入されたこの車輌、デビュー当時はかなりセンセーショナルでした。
撮影場所は、高槻-山崎(現在は、高槻-島本)間の梶原カーブですが、現在は立ち入りができ
ません。
かなり画面が歪んでいますが、PENTAX ME-SUPERに、父が所有していた古いスクリューマウントの
レンズ(スーパータクマー28mm F3.5)を、マウントアダプターKという代物をかませて撮影した
ものです。今では考えられませんが、「絞り込み測光」での撮影でした。
こうしてみると、こんな「歪み」も、また味があっていいものです。
東海道本線 高槻-山崎 1982.01.02.
*** 【管理人プロフィール】シリーズ「鉄道写真を撮る人に100の質問」VOL.10. ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
10.貨物列車はよく撮影しますか?
ブルトレがかなり減ってしまった現在、幹線筋では撮影の中心が貨物となって
しまいました。機関車が牽く昼間の客車列車すら皆無なので、カマものといえば
貨物しかないのが現状です。
貨物時刻表や、機関車運用表、ダイヤグラムは手放せません(笑)。
- 2010/06/26(土) 23:38:30|
- 東海道本線
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山陰のクィーンと呼ばれた特急「まつかぜ」です。
これも、25年前にネガで撮影ものですが、褪色が酷いので、モノクロにて掲載します。
全盛期の13連には及ばないものの、10連でも結構長く見え、食堂車が連結されている
のもわかります。
最近の山陰本線は、特急も普通列車も短編成ばかりですが、駅も沿線も、長い編成の
キハ82系や旧型客車がよく似合う路線でした。
山陰本線 豊岡駅 1985.04.30.
*** 【管理人プロフィール】シリーズ「鉄道写真を撮る人に100の質問」VOL.9 ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
9.JR・私鉄・公営鉄道など主に撮影しているものはなんですか?
鉄道写真を撮りはじめが、国鉄時代の特急列車群だったこともあり、現在もJRが
中心ですが、機会があれば、私鉄各社もじっくり撮影していきたいと思っています。
現状、なかなか手が回りませんが。
- 2010/06/25(金) 23:10:56|
- 山陰本線
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30年前の大阪駅11番線を出発していく、485系ボンネット特急「雷鳥」です。
背後に、113系湘南色の付属編成が留置されているのが見えます。
撮影したのは、中学2年の時でした。原版は、ネガでフジカラ―400です。
当時は何気なく撮影していたものですが、今見ると懐かしい1枚です。
東海道本線 大阪駅 1980.01.
*** 【管理人プロフィール】シリーズ「鉄道写真を撮る人に100の質問」VOL.8 ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
8.普段どのような鉄道写真(走行写真・車内の様子・車体番号・駅・踏切など)を
主に撮影していますか?
最近は駅間での走行写真が中心ですが、駅などでのスナップもよく撮影しています。
記録写真的な編成写真のコレクションが中心ですので、あまり芸術的な観賞写真は
ありません。
今後は斬新なアングルにも取り組んでいきたいと思っています。
【お知らせ】
私事ですが、両親が2人とも介護が必要な状態となってしまったため、当分の間過去ネタ
での更新となります。1年や2年で終わるものではないと覚悟していますが、地元での撮影
活動もかなり制限された形で続けていくことになるかと思います。
父は以前から目を悪くしており、母が身の回りの世話をしていましたが、その母が倒れた
ため、どうにもなりません。
長男なので、いずれ両親の面倒を見なければならないとは思ってはいたものの、介護なんて
まだまだ先の話で他人事だと真剣に考えていなかったので、かなり慌てました。
本日、会社を休んで実家(佐世保)へ赴き、介護認定審査の立ち会いと、ケアマネージャー
による在宅介護プランの打ち合わせを済ませてきたので、明日からは離れても何とか暮ら
していけるようになりました。ヤレヤレです。
- 2010/06/24(木) 23:49:58|
- 東海道本線
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堂々の11連・787系「リレーつばめ」です。
昨今、特急とはいえ、短編成化が進んでいますが、やはりこれだけ長いと風格があります。
田原坂や植木あたりで撮影をしておかねば、と思いながらまだ実現していません。
まだ慌てなくてもいいと思いながら、すぐに時が経ってしまうので、早目におさえておきたい
と思っています。
この場所、定番ですが、以前は背景がシンプルだったのが、近年マンションなどが建ち並んで
しまいました。
鹿児島本線 天拝山-原田 2009.08.16.
*** 【管理人プロフィール】シリーズ「鉄道写真を撮る人に100の質問」VOL.7 ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
7.鉄道写真を撮り始めたきっかけは?
もともと乗り物が好きだったのですが、はじめて駅で列車を撮影している人を
見かけた時は、「乗った記念に撮っているのかな?」位の認識でした。
小学生向けの学習雑誌に、ブルトレの撮影指南が掲載されていた記事や、写真
の撮り方の特集などを読んでいるうちに、自分も撮影がしたくなり、やがて中学生
になると、実際に駅に撮影に行くようになりました。
駅で撮った写真は、アングルも何もなく、とにかく列車が写っていればそれで
満足していました。
友人達と、各々撮った写真を見せ合ううちに、次第に走行写真を撮影したくなり
初めて駅間での撮影にでかけたのは、鉄道ジャーナル別冊の「国鉄特急列車1979」
という本に撮影地ガイドが出ていた、東海道本線の桧尾川踏切(山崎-高槻間)
付近でした。
当時、淀川対岸の枚方市に住んでいましたが、ここまで自転車で片道1時間近く
かかったと思います。
- 2010/06/22(火) 01:33:35|
- 鹿児島本線(肥薩おれんじ鉄道)
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1985年(昭和60年)3月の改正で、長らく山陰のクィーンとして君臨した特急「まつかぜ」
が系統分割して誕生した特急が、この「いそかぜ」です。
この「いそかぜ」という愛称、その更に20年ほど前には、大阪-宮崎・佐世保間を走る
気動車特急に使用されていました。
全く異なる線区で復活した訳ですが、風光明媚な山陰海岸を走る特急の愛称としては全く
違和感はありませんでした。
残念ながら、2005年(平成17年)3月改正で、消滅しています。
この場所は、私有地内にて許可をいただいて撮影しましたので、詳細の説明は割愛させて
いただきます。
山陰本線 田儀-小田 1993.10.
*** 【管理人プロフィール】シリーズ「鉄道写真を撮る人に100の質問」VOL.6 ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
6.鉄道写真歴は何年くらいですか?
はじめてカメラを持って撮影したのが中1で、1978年(昭和53年)なので、かれこれ
32年になります。
最初は、リコーのオートハーフから入り、すぐに父親の PENTAX SV で、本格的な
鉄道写真撮影に開眼。高校に入学してからは、PENTAX ME-SUPER、PENTAX MX
と揃えていきました。
リバーサルフィルムを使用しだしたのは、高2の頃からですが、やはり露出設定が
難しく、ネガカラ―がメインでした。この頃撮影した多くのカットが、ネガによる
もので、スキャンしてデジタル化を試みていますが、ほとんど褪色してしまって
おります。もっとリバーサルで撮影しておけばよかったなと後悔しきりです。
モノクロ現像もやってみたいと思っていた時期もありましたが、若い頃(笑)は、
鉄道趣味以外にも、いろいろなものに興味があった関係で、実現しませんでした。
- 2010/06/19(土) 00:05:24|
- 山陰本線
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この機関車、鉄道写真を撮りはじめた頃は、結構東海道を走っていたのに、今見返すと
まともに撮れている写真がありません。
この1枚だけが残っていましたが、褪色してしまっている上、粒子も出てしまいました。
撮影したのは向日町運転所(現京都総合運転所)でしたが、廃車回送待ちで留置中だった
と思われます。
当時、鉄道雑誌でも、貨物用で地味な存在だったためか、あまり特集を見ることもあり
ませんでした。
東海道本線 向日町-神足(現長岡京) 1981.10.
*** 【管理人プロフィール】シリーズ「鉄道写真を撮る人に100の質問」VOL.5 ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
5.一眼レフカメラの他に、使用しているカメラがあれば教えて下さい。
Canon IXY DIGITAL 400 を使っています。
2004年のはじめに購入しましたが、日常生活はほとんどこの1台で間に合っています。
液晶パネルが小さく、バッテリーの消耗が速いのが難点ですが、故障することもなく
まだまだ現役です。
画質もまずまずなので、出張などで一眼を持って行けない場合には重宝しています。
- 2010/06/17(木) 23:36:30|
- 東海道本線
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こんな「雷鳥」も走っていました。
485系1500番台。
北海道初の電車特急として、1975年(昭和50年)、札幌-旭川間でデビューした特急
「いしかり」用に投入されたこの車輌ですが、厳しい北海道の自然には勝てず、故障
も相次ぎ、やがて本格的北海道仕様車である、781系の投入により、本州へ引き上げと
なりました。
活躍を期待されて入社した新入社員が、思うように成果があがらず、短期間で配転される
ような悲しき人間社会とオーバーラップします...。
北陸本線 新疋田駅 1992.10.
*** 【管理人プロフィール】シリーズ「鉄道写真を撮る人に100の質問」VOL.4 ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
4.普段使用しているレンズを教えて下さい。
EF24-70mm F2.8L
EF28mm F1.8
EF50mm F1.4
EF85mm F1.8
EF135mm F2L ⇒ 近日中に購入予定
EF200mm F2.8L
システムは一気に変更(PENTAX ⇒ Canon EOS)しましたが、レンズはこの1年
で、少しずつ揃えていきました。中望遠・望遠系は、長く親しんだPENTAXで使用
していた単焦点とほぼ同じ焦点距離となるようなラインナップとなっており、
APS-Cサイズとの画角の違いによる違和感はあまりありません。
この後は、フルサイズ・ボディを1台と、EF300mm F4L あたりを調達したいなと
思っています。
- 2010/06/16(水) 23:47:03|
- 北陸本線
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1980年3月の改正で一旦姿を消した急行「雲仙」ですが、1991年~1993年ごろにかけて、
季節臨時列車として復活しています。
編成は、本州内ではPF+20系で、今振り返ると大変貴重な組み合わせでした。
東海道本線 芦屋-さくら夙川 (*当時は、芦屋-西ノ宮)1993.08.
*** 【管理人プロフィール】 シリーズ 「鉄道写真を撮る人に100の質問」 VOL.3 ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
3.普段使用しているカメラを教えて下さい。
Canon EOS 50D です。
2009年2月に購入しました。値段の割に、よくできたカメラだと思っています。
それまでは、メインが銀塩で、PENTAX LX を長い間使用していました。
鉄道写真の撮りはじめが、父親の PENTAX SV だったので、ずっと PENTAX を愛用して
いましたが、メイン機材をデジタルにしたのを機に、Canon EOS 50Dに乗り換えました。
AFと連写のスピードや、レンズの充実などが乗り換えの理由ですが、PENTAX のシステム
も動態保存しています。
- 2010/06/15(火) 23:56:58|
- 東海道本線
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1999年4月の撮影です。
現在は、783系で運転されている特急「ハウステンボス」ですが、当時は赤い485系で、
赤・青・黄・緑のブロックパターンに塗り分けられた車輌で運転されていました。
長崎本線・佐世保線系統の特急は、「かもめ」「みどり」もあり、「ハウステンボス」
だけが4色に塗られていたのは、誤乗防止のためだったとか。
この車輌、2003年3月の改正で、783系に置き換わり、「ハウステンボス」から撤退した
車両は緑色に塗り替えられ、南九州のローカル特急、「きりしま」「ひゅうが」に転用
されています。
この「きりしま」「ひゅうが」に使用中の485系も、来年3月の九州新幹線全線開業に
伴い全廃されるので、そろそろ南九州遠征を計画しなければなりません(笑)。
この撮影地ですが、当時は弥生が丘駅はなく、基山-田代間でした。踏切横からのちょっと
したポイントでしたが、現在は建てこんでしまい、このような構図では撮影できなくなって
しまっています。ご参考まで。
鹿児島本線 弥生が丘-田代 1999.04.
*** 【管理人プロフィール】シリーズ「鉄道写真を撮る人に100の質問」VOL.2 ***
質問の原本は、このページより引用させていただきました。
2.軽く自己紹介をお願いします。
1965年(昭和40年)5月生まれの45歳。福岡市在住の会社員で、3男の父親です。
出身は、長崎県佐世保市。1972年、小学1年の時、父親の仕事の都合で大阪へ。その後
中学・高校・大学と約22年間を関西で過ごしました。
幼少の頃から、乗り物は好きでしたが、関西で生活していく中で、より身近に鉄道に
触れ、佐世保への帰省の際に特急「かもめ」や、「あかつき」などの乗車機会もあり、
鉄道に興味を持ちはじめました。
中学1年の頃から、友人と大阪駅や京都駅にカメラを持って撮影に出かけるようになり
ますます鉄道趣味に傾倒していきました。
高校・大学時代も、撮影をしたり、乗りつぶしをしたり、鉄三昧の日々を送り、1986年
(昭和61年)8月9日、未公認(?)ながら、北海道・根室本線根室駅において、国鉄(当時)
全線完乗を達成しております。
1988年(昭和63年)4月、無事に就職し、社会人となってからは、鉄道趣味に費やす時間
も減り、一時休鉄ブランク期間もありましたが、細々活動は続けていました。
勤務先も転勤などがあり、大阪 ⇒ 広島 ⇒ 福岡 ⇒ 東京 ⇒ 福岡 と移動して
きました。特に、2008年度は、約1年間東京へ単身赴任となりましたが、この間に鉄活動
が本格復活してしまい、現在に至っております。
- 2010/06/14(月) 23:12:40|
- 鹿児島本線(肥薩おれんじ鉄道)
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