俯瞰やロングの写真が続きましたので、このあたりでアップの写真を。
ブルトレはもはや九州では見られなくなり、この3月で「北陸」も消え、
「カシオペア」や「トワイライト」は別として、残るはこの「日本海」
と「北斗星」「あけぼの」わずか3系統となってしまいます。
しかも、いつまでこのままの状態で走り続けてくれるのか、全く予断
を許さない状況...。
この日は、休み明けの月曜日でしたが、午後からの会議に出ればよく、
午前中の空き時間を利用して、ここへ出撃してしまいました。
撮れる時に、撮っておかねばなりません(笑)。
当初の予定では、山崎のサントリーカーブ南側の「百山踏切」で狙う
つもりでしたが、定位置が工事中で立入ができず激枕!
気をとり直し、長岡京駅まで足をのばして、ここ「調子踏切」までやって
きました。長岡京駅から線路沿いに歩いて約20分です。
大阪在住の頃、このあたりで撮影したことがありましたが、ずいぶん周辺
も宅地化が進んでいる上、フェンスが建って思うように撮影ができなく
なっていました。
月曜ということもあり、撮影者は私1人だけでしたが、「あすか」騒動も
あってか、普段は全く気にならないのに、心なしか通行人の視線が突き刺
さるような気がしました。まあ、敷地の外からの撮影で悪いことをしてる
訳ではないので、気の持ちようではありますが...。
東海道本線 長岡京-山崎 2010.02.22.
【撮影地付近】
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- 2010/02/28(日) 23:59:41|
- 東海道本線
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鳩原を後にしてからは、南今庄付近を徘徊した後、敦賀市内で昼食をとり、湖西線
の鵜川俯瞰場所までやってきました。
昨年9月にも、ここで撮影する予定でしたが、途中土砂崩れで通行止めとの看板が
あったので、行かずじまいでした。
前回、2008年5月に訪れた時のカットは、下記をご参照下さい。
前回とは少しポジションを変えて撮影しております。
それにしても、俯瞰撮影は気持ちがいいですね!
湖西線 近江高島-北小松 2010.02.21.
【撮影地付近】
- 2010/02/27(土) 23:58:52|
- 湖西線
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ループ線を1周した上り列車が新疋田方向へ向かっていくところを後追いで撮影した
ものです。
北側から南側を向いての撮影となるため、逆光ぎみとなりますが、午前中なら側面に
光があたります。
列車が1周してくる間に、レンズを交換しての撮影も可能ですので、ここまで登られ
たら、トライしてみる価値はあるかと思います。
北陸本線 敦賀-新疋田 2010.02.20.
【撮影地付近】
- 2010/02/26(金) 00:46:48|
- 北陸本線
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ここに行きたくて行きたくて、夜も眠れませんでした(笑)。
思えば、昨年9月にここで「雷鳥」と「日本海」を撮るつもりで遠征してきたのですが、
志賀-蓬莱間で琵琶湖バックの日の出を撮影してからここへ移動して撮影するつもりが、
時間の読み違えもあって断念し、未訪のままでした。もう、「雷鳥」が置き換えになる
までには行くこともできないだろうと思っていたので、感激もひとしおというものです。
前日は、何かと後味の悪い草津線を後に、小雨模様となった湖西線沿線を北上しながら、
この俯瞰場所の下見を行いました。
道順と所要時間の確認後、天気も悪かったので、早々と下山し、敦賀駅前のビジネス
ホテルへ投宿、近くの地魚料理の店で同行のナポレオン師匠と反省会&鉄談義とあい
なりました。
尚、ここへの行き方は鳩原側から登るとばかり思っていましたが、小河口側から登る
ということで、拙ブログにもよくコメントをいただく、らいてうさんに道順を教わった
おかげで、頂上まで迷うことなくたどり着けました。この場をお借りしまして厚く御礼
申し上げます。
麓から約30分のプチ登山でしたが、ところどころ、雪が残り、凍結もしていたので、注意
深く山道を進みました。普通に登るにはたいした山ではないのですが、撮影機材をかついで
となると、やはりトシのせいか息切れがしてしまいました。ここへは足元は固めて行った方
がいいかと思います。
頂上に着いたら、あまりの景色の素晴らしさに興奮して、足を踏みはずさないように気を
つけなければなりません(爆)。
この日はここで、朝一から、11時頃まで撮影をしました。撮影者は最初は我々2名だけ
でしたが、徐々に登ってこられて、上りのトワイライトが通過する頃には、10名ほどに
なりました。
ここで、ちょっとしたエピソードです。実は前日我々がホテルにチェックインする時
三脚とリュックでいかにも同業者のいでたちの年配の方がいらっしゃったのですが、
その方も我々より1時間ほど遅れて、この俯瞰場所へ現れたのです。聞けば、敦賀駅前
から1時間以上かけて、歩いてこられたとか。いかにも頑丈そうなジッツオの三脚と、
数台のニコンと長玉をかつがれて...。恐るべきパワーに心底脱帽でした。
北陸本線 敦賀-新疋田 2010.02.21.
【撮影地付近】
- 2010/02/25(木) 01:38:50|
- 北陸本線
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「名神クロス」で、「雷鳥」、「日本海」などを撮影の後、草津線へ移動して、「あすか」で
運転される臨時列車、「草津線全通120周年記念号」の撮影に向かいました。
「あすか」は、2月6日にも、山陽本線と山口線で撮影しましたが、DJ誌によればちょうど20日
に草津線に入線するという情報。
この「あすか」、先日の関西本線入線時に、撮影者が線路内に立ち入り、大問題となったことは
皆さんご承知の通りです。
何となく、嫌な予感がしましたが、せっかく関西まで来たのだから、ということで出向きました。
撮影場所は、私もナポレオン師匠も草津線での撮影は初めてということもあり、ロケハンしながら
決めるつもりでしたが、結局撮影者が多数集まった甲賀-油日間の開けた区間で撮影することに。
小さな踏切近くの小道で、列車の通過を待ちます。100人はいたでしょうか。
列車を待つ間、先日の件もあってか、JRの職員の方や、滋賀県警のパトカーも巡回するなど、
警戒体制が敷かれていました。
そんな中でも、線路を横断する者や、罵声、怒号が飛びかう中、列車の通過を待っていましたが、
同じ趣味人として情けないやら、悲しいやら、同じ「あすか」でも、先日の山口線の平和な雰囲気
とは打って変って殺伐な雰囲気でした。
写真は、あえて警戒中のJR職員をフレームに入れております。
ある意味、自虐的ではありますが、この時期こんなことがあって社会問題になったという事実を記録
しておくのも意味のあることだと感じています。
後で、この返しの「あすか」がまたしても撮影者によって止められるという事態が発生し、新聞にも
「コラ鉄!ええかげんにせえ」という関西弁の見出しで翌日の社会面の記事にもなっていました。
これ以上、こんなことが続くと、今後のイベント列車の運転計画にも影響を及ぼしそうで、もはや、
彼らは、「鉄道ファン」、「鉄道マニア」や「鉄道オタク」ではなく「犯罪者」です。
撮影者のモラルとマナーの向上については、デジカメの普及とともに撮影者が爆発的に増加している
背景もあり、相互啓発を推進していく必要が大いにある時期にきているといえます。自分達で自分達
の首を締めないためにも。そして、これからも鉄道をずっとずっと撮影していくためにも。
草津線 甲賀-油日 2010.02.20.
【撮影地付近】
- 2010/02/24(水) 01:19:36|
- 草津線・名松線
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先週半ば、突如として、大阪出張の業務命令が下りました。出張の日は22日月曜。
と、いうことは、福岡を土曜に出発すれば、土・日の2日間、大阪近辺で「鉄」ができる...!
ちょっと悪知恵が働き、土曜のANA1674便にて伊丹へ。
あらかじめ、関西在住のナポレオン師匠(友だち参照)に連絡をしておいたので、今回は
自家用車を出していただけることに。
ナポレオン師匠とは、付き合いも古く、先々週山口線でお会いした(少しだけでしたが)
ばかりでしたが、昨年の九州内リバイバルブルトレの撮影でも同行しており、気心が知れて
います。
定刻8時20分に伊丹空港に到着し、難なく出迎えていただいたナポレオン師匠と合流。
「どこでも好きなところ行くで~」ということで、さっそく出発しました。
やはり大阪近辺で気になるのは、485系「雷鳥」。昨年9月にも、湖西線中心に遠征しましたが、
まだ撮り足りません。
まずはウォーミングアップ、無難なところで、東海道本線の定番、「名神クロス」から。
ここは、2年前にも訪れたことがありましたが、午前中の大阪方面行きの列車をおさえるのに
絶好のポイントです。
被写体も、「雷鳥」「サンダーバード」の他、「はるか」「オーシャンアロー」「スーパーはくと」
などがたて続けにやってきて、飽きることがありません。貨物も頻繁にやってきます。
もう、3月の改正までに撮影に行くことはないだろうと思っていた、485系「雷鳥」、そして
「日本海」。
目の前にして、何か熱くこみ上げるものがありました。
東海道本線 長岡京-山崎 2010.02.20.
【撮影地付近】
- 2010/02/23(火) 00:46:25|
- 東海道本線
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こんなJTも走っていました。「いきいきサロンきのくに」。
波動輸送用の12系客車が余剰化してきたころに改造されて誕生しました。
1989年、バブルの頃ですね。
山陰本線 上夜久野-下夜久野 1994.01.
* 出張のため、次回更新は2/23(火)以降となります。
- 2010/02/19(金) 23:58:50|
- 山陰本線
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あれだけ走っていた103系も、首都圏では全く見られなくなってしまいました。
京浜東北線は、103系による運転が実に30年以上にわたって行われましたが、
国鉄時代末期より205系、209系へと置き換えられ、この1月には、209系も
すべてE233系への置き換えが完了しました。
昭和に生まれた世代には、通勤電車といえばこの103系で、やはり馴染みが
ありますが、最近の新型車輌に乗った後に乗ると、さすがに古さを感じて
しまいます。
京浜東北線 蕨駅 1992.02.
- 2010/02/18(木) 23:58:58|
- 京浜東北線・鶴見線・首都圏貨物線
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播但線といえば、特急「はまかぜ」。
現在は、灰色ベースのJR西日本色キハ181が活躍していますが、やはり国鉄型の特急は
クリームと赤の国鉄特急色が似合います。
しかし、その灰色の車輛さえ、新系列車輛への置き換えが発表され、余命いくばくも
ありません。沿線の撮影者も、増えてきているのではと想像します。
この場所、現在は電化されてポールが建っていますので、このようには撮影できませんが
思い出ということで、紹介してみました。
播但線 甘地-福崎 1994.01.
【撮影地付近】
- 2010/02/17(水) 23:33:28|
- 播但線
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「味めぐり但馬カニスキ号」は、SLやまぐち号用の12系レトロ客車を利用した臨時列車
として運転されていました。現在は、「かにカニはまかぜ号」が、同じルートで運転
されています。撮影は、1994年1月。
播但線は、ほぼ全線が南北に走っているので、光線のとらえ方が悩むところでしたが、
この時は午後の遅い時間帯でしたので、冬の斜光線が車体にきれいにあたってくれ
ました。
撮影場所は、青倉-竹田間だったと記憶しますが、詳しい場所はもう忘却の彼方です。
悪しからずご了承下さい。
播但線 青倉-竹田 1994.01.
- 2010/02/16(火) 23:53:17|
- 播但線
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