以前、「あけぼの」の画像で紹介した、赤羽駅3・4番線ホーム大宮寄り先端から
撮影した上り上野行き「北陸」です。
夏場の6時から7時にかけては、「能登」「北陸」「あけぼの」がたて続けにやって
きて、まさに撮影のゴールデンタイムでした。
この日は、通勤前の「朝練」でしたが、今にして思えば、本当に撮れる時に撮って
おいてよかったと、しみじみ感じています。
東北本線 赤羽駅 2008.09.10.
- 2009/12/21(月) 23:27:28|
- 東北本線
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「雷鳥」が1往復、しかも6両編成に減車...。
来年3月のダイヤ改正の概要が明らかになってきました。
「能登」「北陸」の廃止も痛いですが、この「雷鳥」、まだ何本かは残るだろう
と思っていただけに、1往復とは、ただでさえ撮影機会が少ないのに、改正後は
ますます撮影が困難な列車となってしまいそうです。
どうなるかわかりませんんが、3月までに遠征ができればいいのですが...。
北陸本線 湯尾-今庄 1993.10.11.
【撮影地付近】
- 2009/12/20(日) 21:33:24|
- 北陸本線
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日付の正確な記録は残っていないのですが、この日は、この近辺で、この「あすか」
以外にも、「サロンカーなにわ」による「味めぐり浜坂カニスキ号」と、今はなき
「いきいきサロンきのくに」による団臨なども走り、あわただしく各撮影地を移動
しました。
この「あすか」や、「サロンカーなにわ」はまだまだ現役ですが、ジョイフルトレインは、
昨今の団体旅行需要の減少や、車輛の老朽化等に伴い、各地で廃車が相次いでいます。
時代の流れとはいえ、趣味人からすれば残念でなりません。
撮影地は、和田山駅から約1kmほど梁瀬寄りの鉄橋ですが、様子が変わっているかも
知れません。
山陰本線 和田山-梁瀬 1994.01.
【撮影地付近】
- 2009/12/19(土) 23:59:23|
- 山陰本線
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日本最北端の駅・稚内で出発を待つ、札幌行き夜行急行「利尻」です。
当時は、14系寝台+座席の客車で運転されていました。
この編成は、今はもう廃線となった天北線を経由する、昼間急行「天北」と共通で
運用されていました。
北の大地をDD51が牽くブルトレが走る...。
そこには夢のような世界が、展開していました。
今さらながら、もっとしっかり記録しておくべきだったと後悔しています...。
宗谷本線 稚内駅 1985.07.23.
- 2009/12/18(金) 23:59:00|
- 宗谷本線・石北本線
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長野新幹線開業前、尾久付近を行く「あさま」です。撮影は、1993年1月。
この頃、既に国鉄色ではなく、個人的にはそれほど好きな色ではありませんでしたが、
今となっては懐かしい列車となってしまいました。
1994年頃から、休鉄期間に入ってしまい、碓井峠や、浅間山を背景にした写真を撮影する
機会がなかったことが悔やまれます。
東北本線 赤羽-尾久 1993.01.
【撮影地付近】
- 2009/12/17(木) 23:45:00|
- 東北本線
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名所・ハセイクのカーブ、上り列車向けアングルです。撮影は1994年1月。
この日の「はまかぜ」は、多客期だったためか、8連でやってきました。今見てみると、
ずいぶん長く感じます。
ヘッドマークは、画像ではわかりにくいですが、イラスト入りのものでなく、青地に白
のものでした。
これは、この頃マニアの仕業と見られる部品の盗難が相次いだための措置だったと記憶
しています。
今も昔も、一部の熱狂的なマニアのおかげで、世間から我々全体が同じ目で見られている
のは、つらいものがありますね....。
播但線 生野-長谷 1994.01.
【撮影地付近】
- 2009/12/16(水) 23:44:15|
- 播但線
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かって因美線を走っていた、急行「砂丘」です。撮影は、1993年3月。
鳥取砂丘をデザインしたヘッドマークを付けて走っていたこの「砂丘」、当時と
してはあまり話題も少なかった急行型DCの中でも、タブレット交換などもあって
ひときわ目立った存在でもありました。
岡山から、津山線・因美線経由で、鳥取まで、最盛期には1日5往復も運転されていた
この急行も、時代の流れには勝てず、1997年(平成9年)11月で、廃止となっています。
この撮影地の近況は不明ですが、地図を見ると新しく道路が線路をまたいでいるよう
ですので、背景に入るかも知れません。
因美線 因幡社-智頭 1993.03.
【撮影地付近】
- 2009/12/15(火) 22:27:22|
- 因美線・宇野線
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筑豊本線の名所・冷水峠を行くDD51牽引の50系客車による普通列車です。撮影は
1994年1月。
50系客車は、旧型客車の体質改善のために、主に地方都市圏を中心として投入され
ましたが、国鉄民営化後は電車や気動車への転換が進み、客車列車は淘汰されていき
現在50系と名乗る車輌は、JR北海道の「ノロッコ号」、JR九州の「SL人吉」号など、
を残すのみとなりました。
個人的には、山陰本線の旧型客車に愛着を持っていた時期に、置き換えがはじまり、
旧型客車を廃車に追い込む憎い奴(笑)という印象が強かったのを思い出しました。
今となっては、この筑豊本線を走るDD51と50系も、懐かしい思い出です。
撮影地は、今年の6月に、「リバイバルみずほ」を撮影した場所とほぼ同じ場所です。
参考までに、拙ブログの「リバイバルみずほ」の記事のURLを記しておきます。
当時と状況はほとんど変わっていませんが、電柱が建ったのが変化といえば変化で
しょうか。
筑豊本線 筑前山家-筑前内野 1994.01.03.
【撮影地付近】
- 2009/12/14(月) 23:59:04|
- 筑豊本線
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撮影は、1992年9月ですが、現在もこのような感じで撮影できるかと思います。
「雷鳥」に使用されていた、485系が183系に改造され、「北近畿」への運用につきはじめ
ました。
これも「北近畿」に新型車輌が導入されるまでの一時しのぎとなるのでしょうが、最後まで
使い倒すところ、JR西日本らしいですね。
福知山線 道場-三田 1992.09.
【撮影地付近】
- 2009/12/13(日) 22:24:19|
- 福知山線
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疋田ループ(上り線)での撮影です。撮影は1992年10月。
「しらさぎ」のボンネット、結構撮影したつもりでしたが、さがしてみるとあまり残って
いませんでした。
このボンネットの原型は、「こだま」型として、1958年(昭和33年)にデビューした151系
なので、歴史をさかのぼると、もう50年も前のデザインだということになります。
先般、急行「能登」の廃止が話題にのぼりましたが、現在まで走ってきたことは奇跡に近く
本当に労をねぎらいたい気持で一杯です。
北陸本線 敦賀-新疋田 1992.10.
【撮影地付近】
- 2009/12/12(土) 23:08:42|
- 北陸本線
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