オーソドックスな構図ながら、確実に編成を捉えられる撮影地です。南今庄駅から歩いてすぐ。
南今庄駅周辺は、好ポイントが点在しており、今後485系「雷鳥」の記録を残そうとする
撮影者が増えてくるでしょう。
作例はボンネット車ですが、既に「雷鳥」での定期運用はありません。
それにしても、背景の緑に国鉄特急色ほど映えるカラーリングが他にあるでしょうか...。
北陸本線 今庄-南今庄 1993.10.
【撮影地付近】
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- 2009/07/31(金) 01:24:49|
- 北陸本線
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JR東日本のハイグレード・お召し車輌・E655系「和」(なごみ)です。
通常は「お召し車輌」(特別車輌)を抜いた5輌編成で運転されています。
交直両用電車で、エンジン、発電機を搭載し、非電化区間にもディーゼル機関車
牽引で乗り入れられるものとなっています。
撮影日は、2008年9月6日ですが、特に事前に運用をチェックしたわけではなく、
たまたま来たから撮ったという感じです。
場所は、蒲田駅から大森方向に向かって最初の歩道橋。駅から歩いて10分ほどです。
東海道本線 品川―川崎(大森―蒲田) 2008.09.06.
【撮影地付近】
- 2009/07/30(木) 00:42:27|
- 東海道本線
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まだこの付近が旧線で、旧型客車が元気に走っていた頃のスナップです。
保津川の渓谷の景色が素晴らしく、幾度となく訪れました。
作例は、駅に降り立って、跨線橋の上から上下列車の交換風景を撮影したものです。
駅前には、保津川をまたぐ橋があり、その橋の上から上り列車の撮影をしたり、
川を挟んだ対岸から俯瞰したり、ポイントは無数にありました。
走っている車両もさることながら、今となっては懐かしい思い出です。
山陰本線(旧線) 保津峡駅 1981.11.
- 2009/07/29(水) 00:40:14|
- 山陰本線
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砂浜のクリーム色と海の青からきたとされる、スカ色(横須賀色)の電車は、少年時代を
関西で過ごした私にとって、ある種の憧憬がありました。心の奥底に、東京への憧れが
あったのだと思います。
関西でも、111系や113系は走っていましたが、「湘南色」か、「関西線快速色」「阪和線
快速色」などで、普段は「スカ色」を見ることができなかったこともあります。
たまに、東海道を、関東からの「スカ色」の転属車が混結で走ったりしていると、喜んだり
していました。
作例は、名所「モノサク」の築堤です。サイドからの流し撮りに最適なポイントです。
総武本線 佐倉-物井 2008.02.10.
【撮影地付近】
- 2009/07/28(火) 00:34:28|
- 総武本線・京葉線
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多度津駅構内で廃車回送を待つDF50です。撮影は、1984年3月。
この時、既にDF50による営業運転は、旅客、貨物とも終了していたので、まさかこんな
ところで廃車回送を待つ姿を見ることができるとは思いませんでした。
ナンバープレートも外され、今にも解体のために工場へ動かされる寸前だったのではないかと
思われます。
かっては北海道を除く全国各地でみられたこの機関車ですが、手元の資料によれば、最後まで
主力車として残ったここ四国でも、1981年10月に定期旅客運用から外され、1983年9月には貨物
運用も完全になくなっています。
ちなみに、1号機は廃車後、解体されることなく国鉄多度津工場に保存されていましたが、2007年
10月の展示を最後に伊予西条駅に隣接する四国鉄道文化館へ搬入され、同年11月より展示公開されて
います。車籍はありますが動態保存ではないので、走る姿を見ることはできません。
タイムマシンがあれば、DF50が牽引した寝台特急や、旧型客車の撮影に行ってみたいものです。
予讃線 多度津駅 1984.03.30.
- 2009/07/27(月) 00:48:43|
- 予讃線・内子線・牟岐線
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北陸本線の撮影メッカ、新疋田駅を通過する急行「くずりゅう」です。
3年ほど前、長浜-敦賀間の直流電化を記念し、「リバイバルくずりゅう」が走りましたが、
このカットは1982年11月に撮影した現役時代のものです。
当時高校2年で、この日は平日でしたが、たまたま学校の創立記念日で休みだったこともあり
1人、新疋田まで出かけました。しかし、あいにくの雨...。
雨で濡れないように、ホームにわずかながらある屋根の下で望遠ズームを装着して通過を
待ちます。上り線は、大阪行き「日本海」が通過して行きました。
フィルムはKR。露出が上がりません。しかし、今こうして見てみると、さほどブレもない
ことから、少しアンダー気味ながら、1/125以上で切れていたのでしょう。丸い大きなヘッド
ライトが印象的でした。もう、27年も前の思い出です...。
急行「くずりゅう」は1964年(昭和39年)に準急として敦賀-金沢間にデビュー、翌年に一旦
廃止されましたが、1966年には急行として米原-金沢間に再登場し、東海道新幹線と北陸を結ぶ
重要な足となり、「立山」などとともに北陸路を疾走しました。1985年(昭和60年)同区間を
走る特急「加越」に統合され、その歴史に幕を閉じました。
北陸本線 新疋田駅 1982.11.01.
- 2009/07/26(日) 01:17:44|
- 北陸本線
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旧鹿児島本線(現在は、第三セクター・肥薩おれんじ鉄道)の名所、薩摩大川-西方のポイント
でとらえた、「なは」です。撮影は、2003年8月。
当時は、まだ西鹿児島(現在は鹿児島中央)まで運転されていました。
場所は、西方駅から20分ほど薩摩大川方面へ歩くと到達できます。午前中の下り列車が順光。
この他、「つばめ」も数カット撮影しておりますので、後々紹介していきたいと思います。
この日は、思わず背景にある海に飛び込みたい位の猛暑でした...。
鹿児島本線(現:肥薩おれんじ鉄道) 薩摩大川-西方 2003.08.24.
【撮影地付近】
- 2009/07/25(土) 00:37:30|
- 鹿児島本線(肥薩おれんじ鉄道)
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以前、赤羽駅3・4番線浦和寄りホーム先端から撮影した「あけぼの」のカットを紹介しましたが、
同じ赤羽駅の湘南新宿ラインの5・6番線ホーム先端からも、同じようなアングルで撮影ができます。
この、「成田エクスプレス」をはじめ、池袋・新宿方面へ抜ける特急や、貨物は湘南新宿ラインを
経由するので、このホーム端から撮影ができます。
レンズは、300㎜以上が推奨です。
東北本線 赤羽駅 2008.09.10.
- 2009/07/24(金) 00:13:40|
- 東北本線
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在りし日の、寝台特急「彗星」です。
この列車も、1980年代以降、本数削減、運転区間短縮、併結運転などの歴史を経て、
2005年9月に廃止されています。最盛期には、583系も運用に入っていました。
この場所は現在も撮影可能で、さくら夙川駅から500mほど芦屋寄りのカーブ地点です。
柵をクリアするため、脚立が必要です。
東海道本線 芦屋-西ノ宮(当時) 1993.07.
【撮影地付近】
- 2009/07/23(木) 01:15:26|
- 東海道本線
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1980年代、京阪神を疾走した、117系「新快速」です。デビューは、1980年1月。
当時、並行する私鉄、阪急が6300系、京阪が3000系というクロスシートの座席を
持った特急を運転していたのに対し、国鉄の新快速は153系のボックス型シート
でした。
これらに対抗するため、当時の国鉄としては破格の車内設備で登場した117系は、
利用者からの評判もよく、153系は急ピッチで置き換えられていきました。
この「新快速」、登場時から様々なエピソードがあり、興味深いです。
例えば、大阪-京都間は、北陸方面へ行く特急「雷鳥」が走っていますが、「新快速」
が毎時00分発だったため、同時に大阪駅を発車すると、「新快速」が先に京都へ到着
してしまうので、「雷鳥」を毎時05分発に変更させたとか、東海道本線の時刻表のペー
ジから意識的に「雷鳥」をはずしたとか、枚数に暇がありません。
また、この「新快速」という列車種別、「特別快速」にならなかったのは、当時の
大鉄局(大阪鉄道管理局)が、東京(中央線)と同じ名称を使いたくないという意向
が働いたためともいわれています。
その後、国鉄分割民営化を経てからも、複々線を生かした緩急接続や京阪神間外への
直通運転、早朝から深夜までのフリークエントサービス、最高速度130km運転などが
利用客に支持され、JR西日本の看板的存在に成長したのは、よく知られるところ
です。
東海道本線 大阪駅 1982.11.
- 2009/07/22(水) 22:58:29|
- 東海道本線
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