廃線跡を辿りながら、歴史の重みを感じたひと時。
ふと、最初に酒殿駅付近で撮影したカットが目にとまり、現実に
還りました。
走る車両や、沿線の風景が時代とともに変われども、毎年巡って
くる夏の空は、ずっと不変なのでしょうね。
香椎線/酒殿-須恵 2016.07.09.
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- 2016/07/13(水) 23:59:00|
- 香椎線・篠栗線
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香椎線酒殿駅からの廃線跡探訪ですが、途中が工場敷地内で入ることが
できないため、旧国鉄勝田線志免駅跡へと向かいます。
地図では⑤。鉄道記念公園として整備されています。
ホームと駅名票。
錆びた設備も当時を偲ばせます。
宇美方面へも廃線跡が残っています。
公園内のレリーフには、ボタ山から俯瞰撮影された渡り線の現役時代の
写真も。
特急「かもめ」が京都-博多間の客車列車だった時代ですが、昭和28年
から32年の間、博多到着後一旦香椎まで引き上げ香椎線に入り、この線
を通って宇美へ行き、再び勝田線吉塚経由で博多へ戻るというルートで
方転を行っていたとのこと。写真が残っていれば見てみたいものです。
この鉄道公園の裏には、何やら異様な建物が見えます。
地図⑥まで近寄ると...。
志免鉱業所竪坑櫓(たてこうやぐら)と呼ばれる建造物で、国の重要
文化財にも指定。
旧日本海軍や国鉄によって運営された「国営炭鉱」志免鉱業所の採炭夫を
昇降させ、石炭を搬出するための施設で建造は昭和18年(1943年)。
かなり風化が進んでおり、いつ崩れるかわからないためか、周囲はフェンス
で囲まれ、立ち入りはできません。
こうした施設を見学しつつ、歴史を紐解きながら廃線跡を辿ってみるのも、
なかなか興味深いものがありました。
香椎線酒殿駅-旧勝田線志免駅間の渡り線 2016.07.09.
- 2016/07/12(火) 23:59:00|
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香椎線酒殿駅からの廃線跡探訪、昨日の続きです。
地図では、③地点。
民家の手前の細長い空き地が線路跡。
さらに線路跡伝いに南下していくと、バラストが現れてきました。
後方にボタ山が見えます。
途中、里道が線路跡を割っている個所を発見。
上へ登って酒殿駅方面を望むと...。
いかにも廃線跡。
さらに志免側へと進むと須恵川にあたるので、対岸へ迂回します。
⓸ かろうじて、ガーター橋があったとされる橋台が確認できました。
見たところ、ところどころに里道や水路をまたぐ橋があったようです。
レンガが、何とも時代を感じさせますね。
線路は、この先にある工場敷地内を通って旧勝田線志免駅方面へと
向かっています。
残念ながら、工場内の廃線跡の様子はわかりません...。
続きます。
香椎線酒殿駅-旧勝田線志免駅間の渡り線 2016.07.09.
- 2016/07/11(月) 23:59:00|
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昨日、香椎線酒殿駅付近へ向かった主目的とは、廃線跡の探訪です。
ここは、前々からその存在は知っていたものの、いつか訪れてみたいと
思いながら、まだ未訪でした。
この廃線となった路線とは...。
地図上の赤線の部分、香椎線酒殿駅から、旧国鉄勝田線志免駅を結んでいた
貨物用の渡り線です。
歴史を紐解けば、この線ができたのは、1909年(明治42年)。志免の炭鉱から、
この線を通って、香椎線の西戸崎までの石炭輸送に使われていたものですが
1985年(昭和60年)1月1日 付で廃止となっています。
廃止から31年ほど経った現在の様子を見ていきましょう。
地図上の数字は、撮影した場所になります。
① 酒殿駅周辺
近年、駅周辺の開発が進み、利用客が増えています。
渡り線は、この駅から分岐。
駅前の小さなロータリーから、ほぼこの道路上を奥に見える旧国鉄志免炭鉱跡
のボタ山の方向へと向かいます。
マイカーもさりげなく登場(笑)
② 道路を進むと
幹線道路に合流した先あたりから、道床跡らしいものが。
酒殿駅の方を振り返ると...。
まさしく、線路が延びてきた跡に見えますね。
続きます。
香椎線酒殿駅-旧勝田線志免駅間の渡り線 2016.07.09.
- 2016/07/10(日) 23:59:00|
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天気が悪そうだと思っていたら、昼から晴れました。
あまり注目されない路線ですが、ここへは別の目的があってやって
きました。
明日以降、掲載していきます。
- 2016/07/09(土) 23:59:00|
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