小松島線は、かつて徳島から南へ延びる牟岐線の中田から
小松島までを結んでいた国鉄の路線でした。
国鉄で最も営業キロが短い路線として知られていましたが、
1985年(昭和60年)3月14日に全線が廃止となりました。
この路線、1.9Kmという短い路線ながら、小松島港駅
という仮乗降場が存在していました。
写真は、急行「よしの川」。その名の通り「四国三郎」
こと吉野川に沿って走る徳島本線から乗り入れてきた
列車です。
奥の方にフェリー乗り場が見えますが、ここを発着
していた南海フェリーも、1999年(平成11年)に
徳島港へ発着港を移し、現在小松島港を発着する
フェリーや定期航路はありません。
隣の小松島駅との距離、わずか300m。
踏切をはさんですぐの距離です。
こうして見ると、昔はローカル線巡りもなかなか面白
かったなと回想しています。
小松島線(廃線)/小松島港駅 1984.03.31.
にほんブログ村
スポンサーサイト
- 2020/05/23(土) 16:30:00|
- 予讃線・内子線・牟岐線
-
-
| コメント:2
多度津駅に到着するキハ181の特急「南風」と駅はずれに留置
されたDF50。
この時、既にDF50は営業運転を終了していた時期でした。
あと1年早く四国を訪れていれば、貨物運用についていたDF50
をとらえることができたのに、と悔やまれますが、ちょうど
大学受験準備の時期と重なってしまい...。(と、言っても
勉強はしてませんでしたが...笑)
消えゆく東北特急や上越特急の撮影を優先してしまった、
というのが実際のところです。
予讃線/多度津駅 1984.03.30.
- 2016/12/09(金) 23:59:00|
- 予讃線・内子線・牟岐線
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
宇野と高松を結ぶ宇高連絡船には数回乗船する機会がありましたが、
青函連絡船に比べるとかなり小ぶりでした。
航路上、すれ違った阿波丸。
船内の様子をなぜ撮影しなかったのか、今となっては悔やむばかり
ですが、青函の「海峡ラーメン」と同様、「讃岐うどん」をすする
のも楽しみでした。
高松桟橋の様子です。
すぐそばには、ホーバークラフトの姿が。
宇高連絡船が1時間かかるところを、23分で結んでいました。
これを撮影した2年後の夏も青春18きっぷで四国を訪れましたが、
その際は急行券と乗車券を購入して乗船。
青春18の場合、特急や急行に乗る場合は、その区間は乗車券も買う
必要があり、ホーバーは、「急行」扱い。
海上を高速で走る(飛ぶ?)ホーバーの中から見る景色に興味があり
ましたが、見えたのは波しぶきだけ...。
夢の乗り物としてデビューしたホーバーも、一時期は日本各地で見る
ことができましたが、次第に運航コストが高いこと、騒音、悪天候に
弱いなどの欠点が露呈、次第に姿を消していきました。
宇高のホーバーも、瀬戸大橋の開通とともに、廃止となりましたが
こうして当時を振り返ると、いい時代だったなと思えます。
予讃本線/高松駅 1984.04.01.
- 2016/12/06(火) 23:59:00|
- 予讃線・内子線・牟岐線
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
徳島から南へ延びる牟岐線の終着駅、海部。
ホームの先には、トンネルがぽっかりと口を開けていました。
このトンネルから先は、後に牟岐から更に甲浦まで延びる三セクの
阿佐海岸鉄道として開業しました。
一方、やって来た方向に目を転ずれば...
山のないトンネル!!
この町内(まちうち)トンネルは、建設当初は山を貫いていたものの、
宅地開発などによって山が切り崩された結果、構造物のみのトンネル
となってしまったとのこと。
なんともユーモラスな景観でしたが、現存しているようです。
牟岐線/海部駅 1984.03.31.
- 2016/10/07(金) 23:59:00|
- 予讃線・内子線・牟岐線
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
過去、遠征先で撮影してきたストックを眺めていると、やはりカラー
映えする青空のものが目にとまります。
その中でも、ステンレス車がギラリと輝く時。
ほんの一瞬ですが、感性に触れるものがありますね。
予讃線/詫間-みの 2015.07.18.
- 2016/05/20(金) 23:59:00|
- 予讃線・内子線・牟岐線
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0